「私なんていてもいなくても変わらない……」
そんな風に、自分の存在意義の弱さに悩むことがあります。
自分は代わりの利く存在であり、誰にとっても意味のない生き方をしているような感覚です。
しかし、本当に存在意義がない人なんて存在するのでしょうか。
この記事では、自分の存在意義への虚しさを解消するコツをお伝えしていきます。
「もっとすごいことしなきゃ」と焦る前に、一度ここにあるコツを取り入れた生活をしてみてください。
自分の存在意義とは
自分の存在意義とは、他に代わりがいない、唯一無二である感覚のことです。
自分にしかできない、こなせない役割や成果があることで、私たちは自分の存在意義を実感します。
- 存在意義があると認識する:世界を救えるのは私だけだ
- 存在意義がないと認識する:私が世界を救わなかったら別の人が救うだろう
存在意義を感じられなくなると自己重要感が下がり、自分が世界から浮いたような感覚を抱きます。
まるでNPCになったような虚無感が生じ、未来に絶望して行動意欲が失われたり、存在意義を見出すために無謀な挑戦をしたりするでしょう。
存在意義を空虚に感じる5つの思考
ここでは、存在意義を見失わせてしまう思考についてお伝えしていきます。
自分の存在に意味を見出すためには、それぞれの思考や感覚と折り合いをつけることが大切です。
思考①:歯車思考
歯車思考とは、自分はシステムを動かす部品の一部に過ぎないという考え方です。
戦場における一兵士に過ぎず、誰かの掌で踊り続けるしかないと感じます。
例.歯車思考
・私が辞めても代わりがいる
・権力者の駒としての人生なんだ
・自分で世界を変える権利はないんだ
・私はこの世界でいてもいなくても変わらない存在なんだ
歯車思考を手放すには、社会というシステムとは別に自分個人のシステムを認識することが重要です。
「私はどう生きたいのか」を優先的に考え、そのためのツールとして社会や他者を捉えるのです。
- 社会というシステム:地球や日本、会社をトップとして、それを動かす部品として自分を捉える
- 自分というシステム:自分をトップとして、人生を作る部品として外部要因を捉える
仕事であれば、「会社に使われているのか」「会社を使っているのか」の違いともいえます。
まずは自分の人生の主導権を握ることが、歯車思考から抜け出す最初の関門だと言えるでしょう。
思考②:広角レンズ
広角レンズとは、全体から自分の存在意義を捉えることです。
たとえば全人類と自分を比較することで、際立った特徴がないと認識して存在意義を失います。
- 大規模との比較:私は日本で一番になれる特技がないから存在意義が弱い
- 小規模との比較:私はクラスで一番になれる特技があるから存在意義が強い
最上思考の持ち主は広角レンズで捉えやすく、自己重要感や自己効力感を失う傾向があります。
常に自分より上の人と比べて、「私なんか秀でているところが1つもないダメな人間だ」と認識してしまうのです。
- 上方比較:自分より優れている人と比較する行為
- 下方比較:自分より劣っている人と比較する行為
広角レンズから切り換えるには、比較対象を認識して視野を狭めることが有効です。
ただし狭めるためには、広角レンズで見るべきだと考えている自分の思考と折り合いをつける必要があります。
「なぜ上位層と比べた方がいいのか」「なぜ全人類のなかで突出した才能がないといけないのか」などを検討してみてください。
★広角レンズで捉えることのメリット
広角レンズにもメリットがあるため、必要に応じて切り替えられるようになるのが理想です。
・不安や恐怖の軽減:世界から見たら私の悩みなんてちっぽけだ
・自由な生き方への許可出し:こんな生き方をする人が1人ぐらいいてもいい
思考③:椅子取りゲーム
椅子取りゲームとは、自分の人生には生産性がないという捉え方です。
自分が得をしたら誰かが損をするというゼロサムゲーム的な感覚であり、常に誰かと競争してますが、どちらが勝っても生産性に大きな違いは生じないと考えます。
- ゼロサムゲーム:私でなく同僚が出世しても会社の成績は変わらないだろう
- プラスサムゲーム:私が出世することで同僚にも会社にもお客様にもよい影響を及ぼせる
椅子取りゲームから抜け出すには、椅子ではなくその後の未来の決定権を取り合っていると考えてみてください。
たとえば車の運転席の取り合いであり、運転席に座れれば自分がたどり着きたい目的地を選べるという具合です。
- 椅子の取り合い:定められた地位や役割の奪い合い
(例.誰が店長になっても同じだろう) - 決定権の取り合い:定められた地位や役割に付随する権利の奪い合い
(例.上品な店を作りたいから私は店長になりたい)
「椅子に座ること」ではなく「椅子に座ることの目的」について考えましょう。
目的が明確になればなるほど、ゼロサムゲーム的な感覚が失われていきます。
思考④:退屈な延長線上の未来
退屈な延長線上の未来とは、「このまま何事もなく人生が終わるのか」という虚無感です。
「ピークは過ぎて大した人生ではなかった」と俯瞰することで、人生の意味を見失い存在意義が感じられなくなります。
- 退屈な未来:いつ死んでも変わらない、今後も何も変わらないだろう
(例.偏差値の高い学校に行って、給料のよい会社に就職して、結婚して死ぬだけか) - 刺激的な未来:今死ぬわけにはいかない、自らで人生を前進させたい
(例.どこに続いているかまだ分からないけどきっとこの道を歩むことは楽しいはずだ)
未来への退屈感を解消するには、人生の歩み方を変えることが有効です。
環境を変えたり、あり方を変えたりすることで、人生の方向性が徐々に変わり予測とは異なる地点にたどり着きます。
- 環境を変える:転職する、引っ越しする、結婚する、趣味を作る
- あり方を変える:何かに取り組むときの思考や態度、振る舞いをいつものパターンから変容させる
ただし、ある程度慣れてくると、再び将来が予測できるようになり退屈感が生じます。
そのときはもう一度、現状のコンフォートゾーンをずらすようにしてください。
思考⑤:局所的な存在意義への依存
局所的な存在意義への依存とは、自分のアイデンティティとなる強みや役割をその場にいられる理由にすることです。
「〇〇があるから私には存在意義がある」という拠り所であり、これを失うと存在意義までもが損なわれます。
- 強み:他者よりも秀でた資質、経験、能力
(例.私の存在意義はこのルックスだ。かわいさが失われたらこの場にいられなくなる) - 役割:地位などのポジション
(例.私の存在意義は社長であることだ。だから私はこの職場でふんぞり返っていられる)
しかし、外部要因に依存した存在意義は、いつしかは機能しなくなるものです。
また、存在意義を失わないようにと、相手を引きずり下ろすための醜い攻撃をする可能性もあります。
- 存在意義の期限:強みや役割は一生継続するものではない
- 存在意義の防衛:存在意義を失うことは強い不安や恐怖を伴う。そのため攻撃的になりやすい
「私の取り柄は〇〇しかない」というように、自分の存在意義を自分で狭めないようにしてください。
強みや役割を認識することは大切ですが、それだけがその場にいてもよい理由ではないはずです。
局所的な存在意義に依存している場合は、「なぜその場にいたいのか」「その存在意義が失われるとどうなるのか」を検討してみましょう。
自分の存在意義を持つためのコツ8選
ここでは、自分の存在意義を実感するためのコツについてお伝えしていきます。
「まぁこんな人生も悪くないか」と捉えられることを目標にしてみてください。
コツ①:目的と仲間を見つける
達成したい目的や目標、そして仲間を見つけることで自分の存在意義を感じられるようになります。
目的を持つことで自分の人生の使い方と折り合いを付けられ、仲間を見つけることでお互いの存在を承認するようになるためです。
- 個人的な目的による存在意義:私はこれを目指す人生でありたい
- 集団的な目的による存在意義:私たちでこれを成し遂げたい。私はこの団体の一部でありたい
- 仲間による存在意義:私にはあなたが必要。あなたには私が必要
ただし、大きな目的になるほど大量の仲間が必要になり、自分の存在意義が弱まる危険があります。
「自分なんていてもいなくても一緒だ」と感じて、目的自体への意欲も低下するかもしれません。
- 規模が大きい目的:多くの部品の1つであると実感して歯車思考が促される
- 規模が小さい目的:誰一人が欠けてもダメだと実感して自身の存在意義を感じられる
「日本を守るために戦う」というような危機感があるほど、仲間が多くても歯車思考にはなりづらいです。
とはいえ、ゆとりのある日常では危機感の強い目的を持ちづらいため、やらされている感が生じてしまいます。
- 危機感の強い目的:みんなで闘わなければ家族が守れない
→歯車になることを受け入れやすい。 - 危機感の弱い目的:破産可能性の低い自社の成績を伸ばす
→歯車になることを受け入れづらい。
目的の質と仲間の数が自身の存在意義に影響するため、自分の感覚によってそれらを変えてみてください。
もし仲間が多くて存在意義が弱まっているならば、目的を精緻化したり質自体を変えたりして、少人数の仲間と新たに挑戦することをおすすめします。
例.推し活における存在意義
1.我々で推しを人気にするのだ
2.推しのファンが増えてきて存在意義を見失いそうだ
3-1.ファンを統制するための役割を担おう
3-2.推しを世界に広げるために広告メディアを作ろう

コツ②:望遠レンズに切り替える
望遠レンズとは、遠くの物を大きく映すためのものです。
広角レンズとは真逆の捉え方であり、ナンバーワンではなくオンリーワンとして自分の存在を認識します。
- 広角レンズ:世界中の人々とのおおざっぱな比較
(例.私の強みは世界全体で見たら大したものではない。だから私には価値がない) - 望遠レンズ:世界中の人々との細やかな比較
(例.この環境、この経験をした人は私しかいない。だから私には価値がある)
細胞レベルで個々を認識する試みが、遠望レンズによる捉え方です。
全く同じ人間など存在せず、だから一人ひとりには価値があると考えやすくなります。
ただし、望遠レンズによる捉え方は、些細な悩みを拡大することにもつながります。
使い方によっては自分を不幸な存在だと認識してしまうため、遠望レンズと広角レンズを交互に切り替えて自分を捉えるようにしてください。
コツ③:役割としての責任を果たす
誰が担っても同じだと考えると、自分の存在意義を見失います。
この考え方は最上思考的であり、誰もがそれなりのよい成果を出すという考え方です。
実際は役割を担う人によって、品質だけではなく方向性にも変化が生じます。
- 品質の違い:Aの人なら80点に、Bの人なら50点の成果物が得られるだろう
- 方向性の違い:Aの人なら団結感のあるグループに、Bの人ならリードして引っ張るグループになるだろう
「誰がやっても同じ」と考えたとき、そこにある予測される成果物について検討してみてください。
「誰がやっても本当に結果は変わらないのか」「自由にしていいなら私はどうしたいのか」などに疑問を持つことで、自分ならではの役割意識を持てて、存在意義を感じられるようになります。
ただし、「存在意義を持つことを目的に変わった挑戦をしよう」という考え方はおすすめしません。

コツ④:過去に与えた影響を把握する
私たちは”現在”ばかりを重視する傾向があります。
たとえば、今死ぬとしたら、現在取り組んでいることで人生の意味・無意味を判断しようとするでしょう。
現在という終着駅に意味を見出そうとしますが、だからこそ自分の存在意義を実感することが難しくなるのです。
- 現在から見出す:交通事故に遭うための人生だったのか
- 過去から見出す:子供達を生むための人生だったんだ
- 未来から見出す:私には使命があり、それを果たすための人生なのだ
忘れがちですが、私たちは今までさまざまな経験をして、世界に多くの影響を及ぼしてきました。
家族、友人、ペットなどが分かりやすい影響であり、「私がいたから喜びや悲しみのエピソードが生まれた」というものは少なくないはずです。
「だから何?」という淡白なもの捉え方もできますが、1つひとつがその人を作るかけがえのない部品になります。
例.過去の影響
・私がいたから友人はこのとき笑えることができたんだ
・私がいたから親にこういった思い出や感情が生まれた
・私がいたからこの子供たちが生まれ、孫たちが生まれるのだ
ただし、この思考をするときは、「椅子取りゲーム」のように考えることには注意してください。
「私がいなくてもきっと他の誰かが同じように振舞っただろう」と考えると、ますます自身の存在意義が失われていきます。
たしかにそうかもしれませんが、そのとき、その場所にいたのはあなたであり、もしもの世界は存在しません。
「その過去を確定することができた自分の存在」に対して意義を感じるようにしてみましょう。
コツ⑤:自分だけの物語づくりに勤しむ
人生は1つの物語であり、私たちはその筆者でもあり主人公でもあると捉えられます。
たとえば「オリンピックで優勝する」という結果は確定できませんが、少なくとも「オリンピックで優勝を目指す物語」というものは作れるでしょう。
そして、「オリンピックで優勝を目指す物語」はたくさんあれど、親や友人、育った環境やコーチ、練習内容や感情などの条件が同じストーリーは存在せず、すべてがたった1つの物語であると言えます。
例.物語に色を出す要素
・ゴール
・価値観
・登場人物
・試練となる課題
・試練の解決方法
・そのときどきの思考や判断
自分だけの物語を作ろうとすることで、他者はただの登場人物に過ぎず、比較対象ではないと認識できます。
また、自分の物語に価値を感じる読者を想定することで、ありふれた物語ではないと感じられるはずです。
- 物語作りに没入する:ありふれているとか関係ない。自分がどうしたいかが問題だ
- 読者を想定する:毒親に育てられた私の物語がきっと参考になるだろう
この物語思考は実験思考にも似ており、どこから来て、どこを目指して、どう進んでいくのかが重要になります。
結果以上にプロセスを重視する態度につながり、今の選択1つひとつに意義を感じられるようになります。
- どこから来て:前提条件
- どこを目指して:目標、ゴール、求めている成果
- どう進んでいくのか:取り組み方、アプローチ方法、歩む道の選び方と進み方
コツ⑥:他者にとっての存在意義を切り離す
私たちが求める存在意義の多くは、他者からの評価です。
「かけがえのないあなた」という評価が欲しくて、その根拠としての成果物を求めます。
例.他者視点による私の存在意義
・私が好きなのはあなただけ
・あなたのようにすごい人は他にはいない
・これを任せられるのはあなたしかいない
しかし、「私にはあなたしかいない」なんて言葉はまやかしです。
他者にとっての私はいくらでも代わりが存在するものであり、いなくなった瞬間は多少ごたつくかもしれませんが、時間が経てば元の鞘に収まるものです。
つまり、他者にとっての存在意義を求めても、それは得られるものではない無駄な努力だと言えます。
自分の存在意義に疑問を持ったときは、他人にどう評価されたいのかというのは一旦脇に置いたほうがよいでしょう。
そのためには、その相手だけが自分のすべてではないということを思い出してみてください。
コツ⑦:他者にとっての存在意義を作りこむ
私たちはお互いを必要とし合うことで、存在意義を見出す傾向があります。
他者に依存されることはよくありませんが、他者との関わりの一切を排除するのも危ういのです。
- 他者に依存される:あなたがいないと生きていけない
- お互いに必要とし合う:絶対条件ではないが十分条件としてお互いに必要である
- 他者との関わりを排除する:誰にも必要とされなくても私の存在意義はあると思える
そもそも、自身の存在意義とは「相手や世界にとって私は必要な役割を担っている」と感じることです。
他者を無視して自分の存在意義を見つけることはほぼ不可能だと言えます。
- 私には存在意義がある:誰かにとって私は必要な役割を担っている
- 私には存在意義がない:誰にとっても私は必要な役割を担っていない
他者にとっての存在意義を作りこむには、まず最初に「自分を肯定できるあり方」を決めることが大切です。
「こういう存在としてありたい」と考え、「本当にそうあれているのか」を確かめるために他者からの反応を活用します。
例.支援者としてありたいときの他者活用
1.私はAさんから「支援者」として認められる存在でありたい
2.Aさんは私のことを支援者として〇〇と評価している
3-1.つまり私は支援者という存在であれているのだ
3-2.つまり私は支援者という存在であるために振る舞い方を変える必要があるだろう
相手に優しい振る舞いをするだけではなく、正しい方向に導くための厳しい振る舞いをすることも、人によっては自身の存在意義を実感することにつながります。
いずれにしても、「誰にとってどんな存在でありたいのか」を検討して、そのための振る舞い方を身につけることで、少しずつ自分の存在意義に自信を持てるようになるでしょう。
★足手まとい感覚
足手まとい感覚とは「要求に応えられないことで他者に損失を生じさせている認識」です。
これは初心者のような要求されているスキルレベルに到達できていない段階でよく起きます。
足手まとい感覚によって存在意義を見失っている場合は、次の2つを心掛けてみてください。
足手まとい状態を解消することは大前提ですが、今の私にも存在価値があると思えないとその場から離脱する可能性が高まります。
・足手まといにならないようにレベルアップする
(例.みんなの足を引っ張らないように練習時間を増やそう!)
・足手まといの状態が他者の利益にもなっていると理解する
(例.私に教えるという経験が先輩の技術向上に役立っている。だから積極的にアドバイスを受け入れよう)
コツ⑧:存在意義があると認めるハードルを下げる
自分の存在意義を実感しようとしたとき、よく大きな刺激を求めます。
「すごいことをしたら自分の存在意義が生じる」と考え、何か大きなことを成し遂げようとするのです。
例.存在意義のハードルが高い
・私は結婚していないから存在価値がない
・私はお金持ちではないから存在価値がない
・私は親孝行できなかったから存在価値がない
この存在意義を感じられるハードルを下げない限り、よほどの豪運の持ち主でなければ自分の存在価値を否定し続ける人生になります。
「こうであらねば存在意義はない」と自分や他者を断じるようになり、誰にとっても腫物のような存在になるでしょう。
ハードルを下げるためには、自分が考えている存在意義があるとないの境界線を見つけてみてください。
その境界線が正しいのかと疑問を持つことで、「すごいことをしなくても存在意義がある」と感じられる余地が生まれます。
事業主が存在意義を揺さぶられるよくあるケース
ここでは、個人事業者の存在意義が揺さぶれるよくあるケースについてお伝えしていきます。
ケース①:競合を認識したとき
競合との比較により、自分の存在意義が薄らぐことがあります。
自分がいてもいなくても変わらないと感じて、何のために仕事をしているのかが分からなくなるのです。
例.競合との比較
・同等の成果:私とAさん、どちらが請け負っても成果物に大差がない
・上方比較:私よりAさんのほうが優れているのだから、私に価値はない
どの仕事にも競合が存在しており、「私にしかできないこと」はほとんどありません。
料金やサービスに違いを作ろうとしても、良いものはすぐに模倣されるため、存在意義は不安定であり続けます。
情熱部分に違いを見つけても、広く見渡せば似たような人はいくらでも存在し、やはり存在意義が薄らいでしまいます。
例.差別化による存在意義の強化
・値段:他よりも安く
・サービス:他とは違うもの、もっと多く
・情熱部分:仕事をする動機となる熱い思い、目的
このようなときは、競合ではなくお客様に焦点を当てることがおすすめです。
「私がいたからお客様はそれなりのサービスを受けられるのだ」というように、お客様の問題解決に貢献できる自分に意義を感じましょう。
私がいなくても他にサービスを受けられたかもしれないですが、そうでない可能性も、ひどい業者に委託していた可能性もあります。
そういう可能性があるなかで、とりあえず私と出会えて問題解決できたことに対して、誇りを持ってみてください。
ケース②:顧客から低評価されたとき
事業をしていると、どうしても顧客から低評価されるものです。
そのとき、「何のために頑張ってきたんだろうか」「私が働くと不幸な人が増えるかも」と自信を失い、存在意義を見失うことがあります。
- リソースの無駄:今までの努力が無駄だった
- 害悪な自己認識:私は他者に悪い影響を及ぼす存在だ、必要とされない人間だ
このようなときは、自分がまだ道半ばであることを理解するのがおすすめです。
まだ完璧ではなく、これからいくらでも成長でき、お客様を十分満足させられる事業者になれるのだと未来に希望を持ってみてください。
また、「この道半ばの苦痛は私にとっても他者にとっても貴重なものになり得る」と考えることで、現状のふがいない自分を受け入れることに役立ちます。
- この苦痛は私にとっても有益だ:この痛みを知っているから未来の私はよりよくなるだろう
- この苦痛は他者にとっても有益だ:この痛みを知っている私は同じ痛みで苦しんでいる人を救えるかもしれない

ケース③:卓越した先人と比較したとき
自分が目指している地点にたどり着いている人を見つけることで、そのプロセスを歩む理由を見失うことがあります。
たとえば、「もうできている人がいるのだから、私がやる必要はないのではないか」という具合です。
このようなときは、先人の手から零れ落ちている人に焦点を当ててみてください。
その人たちを掬い取る存在になろうと考えることで、自分の存在意義を新たに定義することができます。
例.零れ落ちる理由
・サービスの質が悪い:今までにない問題解決だがまだまだ粗く不満が多い
・需要より供給が少ない:そのサービスを提供できる人が少なすぎる
・サービスが尖っていない:特定の悩みに対しては効果が低い
・サービスが尖りすぎている:特定の悩みだけに特化しすぎている

ケース④:大きな目標が達成されて日常化したとき
大きな目標が達成されると、燃え尽きていつ辞めても同じだと考えることがあります。
「ただ生きていくためだけの仕事」というように、仕事や人生をつまらなく感じるのです。
このようなときは、自分と向き合うことが重要になります。
何に価値を感じ、その価値をもっと満たすためにどんな行動を取り、どう解釈すべきかを模索してみてください。
惰性だけで続ける人生とは、いつか訪れる幸運を待つだけの人生であり、その日が来るまでは不幸でしかありません。
機会を待つことも大切ですが、自分が満たされるための行動を主体的におこなうことも、同じくらい大切です。

まとめ
自分の存在意義とは、「他者や世界にとって必要な役割を担えている」「唯一無二な存在であれている」という実感です。
しかし、物語の勇者のような役割は現実にはほとんど存在しません。
強い存在意義を求めるほど、自分の無力さを痛感して生きる意味を見失ってしまいます。
自分の存在意義に疑問を感じたら、まずは自分がどんな存在でありたいのかを言語化してみてください。
そこにある期待と折り合いをつけることで、ようやく現状の自分にも存在意義があると認識できる余地が生まれます。
